水車小屋のある風景

ふるさとをなつかしく思う。また、過去のものや失われたものをなつかしく思う。

 (日本の原風景・水車小屋のある風景は、心に眠る日本の風景の象徴として、心象(心の中に思い描いた景色)のイメージとして心の中に持っているのかもしれません。
 私たちの心の中には「故郷」という文部省唱歌が強くインプットされていて、同窓会などに集まると、最後にはみんなで、この歌を唄ったりして。
「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川 …」この歌を唄うと、ジーンときます。
 私は、この村を離れたことはないけれど70年も昔の水車小屋のある風景こそが私の原風景「故郷」です。
 あの頃は、この村を離れて都会へ出ることばかり考えていたのに。歳とともに昔の懐かしさがこみあげてきて、「故郷は遠きにありて思ふもの」と、つい口ずさんでしまう。
 今のような世の中暮らしになるとは、あの頃には思いもしてなかったものな。
 思えば「光陰矢の如し」。)

我が町中町(中村)にあった水車
 中町と大津町の境にある谷川に水車小屋があって、おじいさんとおばあさんがお世話してくれていました。(まったく日本昔ばなしの世界だ。)
 勢いよく水の流れ落ちる音がして小屋の中からはコットン、コットン杵(きね)の音がしていた。
 村の共同所有で順番に利用して米つき(精米)、粉ひき(製粉)の仕事をしてくれた水車でした。粉ひき時間は長くかかったけれど、この水車は何故か心休ませてくれるような思いがした。「精出せば凍る間もなし水車」何百年も回りぱなしだったのだろう。   
 昭和30年ごろ、農協にモーターで回る精米機が導入され水車の用がなさなくなり自然消滅した。その後県道の拡張もあって建物も取壊され水車を見ることもできません。一つの時代が終わってしまった。ご苦労様でした。
 懐かしい原風景。いま想えばやっぱりいいよな、会いたいな、もう一度。あの頃のままで…ね。


十津川村立西川中学校にある水車
 西川中学校は廃校になっている。
 どっしりと里を見下ろす十津川の山の姿は、故郷の象徴的風景のひとつを思わせます。十津川村は山は高く美しい、谷川も多く川の水も綺麗。
 はじめて十津川の小・中学校に行ったのは30年ほど前のこと、十津川村へき地教育研究会さまより、小・中学校の生徒さん全員の書いた作文集「十津川っ子」という冊子の印刷の注文を受け毎年3月に納品に行った。カーナビもない時代で十津川は遠いところでした。
 今から18年ほど前その年の編集当番校であった西川中学校へ納品に行った。
 県道から一足下って学校に入る。その道端に水車が建てられてあって「平成17年度卒業記念」と書かれてあった。
 こういう水車のある風景を見ると強いノスタルジアを感じて、懐かしさがこみあげてきて、胸が熱くなったのをおぼえている。出来ることなら小さな模型でも作ってみたいよ …

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